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サークル内で役職をもらって、いろいろやっています。
何か始めようとすれば、その中には成功も失敗もあって、
本当の成功・失敗と別に他者の賛成・反対もある。
そして、人の中で物事を為していくのなら、他者の賛成・反対に対してどうするかも大事。
一つ成功があっても奢らずにいれば、人の指摘にも適切に対応できるはず。
いつも真実を見極める目を持とうとしなくてはなりません。
物事にはいろいろな側面があって、できるだけ、全ての側面を考え合わせてよりよいことを為さなければならない。
組織内で役職を全うする上では、よりよい道具でありたい。
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人の死は、いろいろな可能性を教えてくれる。
漫画原稿の描きすぎで覚悟の上過労死した同人作家。
彼女は、描きすぎて死ぬだろうけど、絶対幸せだったと言い切れると遺書を残していた。
人の一生は自由。
生んでもらって、命を与えられて生きてきているけれど、結局はひとりの人間だから。
人はひとり。
何かをしすぎて死ぬも、何もせず死ぬも一人の人間の選択なら、認めうること。
思いには程度があって。
程度が強いものがあれば、弱いものもある。
思える精一杯は、人によって違うと思う。
自分の生を賭す思いと、
自分の未来には勝てない思いと、
どちらも、決して否定されるべきではない。
ただ、程度の選択肢もいくらでもあるのだということが新鮮だ。
ひとといういきものは、思いのために死ぬことができるのだと。
音楽に生きる者は、すべてを音楽に捧げることができるだろうし、
愛に生きる者は、自己実現を伴侶のための存在へと規定できるだろうし。
純粋に思えるその強さに敬服する。
そして、自らの望む思いのためでなく死にゆくことは、どこまでも悲しいと思う。
思いに死にたいと思う。
だって、とても幸せだと思うから。
思いに死にたい。
いつか、今までの喜びを全て覆すような、強い思いに出会えるだろうか。
自己犠牲の甘さではなく、できることならもっと自己中心的な思いで死にたい。